ノルウェーのとある小さな島でグラフィティを始めた「REMIO」。そんな彼のプレイグラウンドは小さな島では収まりきれず、やがて世界中のストリートに飛び出し各国にファンを持つグラフィティライターとしての地位を築くことになる。最近では、活動場所をストリートからギャラリーへと移行し始め、ペイント、スプレー、マーカー、シルクスクリーン・ポスター、さらには立体作品の制作までバラエティに富む手法で観客を魅了し続けている。また、HUFのアンバサダーを務め、2016年には東京で一日限りのアートショー「FREE HABIT」を開催し大盛況だったことは記憶に新しい。3年ぶりとなる代官山での個展『Cereal Milk』のために日本に戻ってきたREMIOの元に足を運びインタビューを行った。
Text & Edit: Ryosei Homma
——まず、読者に向けて簡単に自己紹介をお願いします。
ノルウェーのとっても小さな島の出身で、各国を転々としながら現在はLAに行き着いてそこを拠点に活動しているよ。小さい頃からたくさん引越しを経験しているから、旅をしながら自分のグラフィティを世界各地に残すっていうスタイルがオレは好きなんだ。幼い頃にはボートで暮らしていたこともあってちょっと変わった住み方をしていたし、家族もみんな冒険好きでそれを受け継いでいるのかも。
——いつからグラフィティライターとして活動しているんでしょうか。
小さい頃から。確か初めてグラフィティを見たのは8歳ぐらいだったかな。オスロ(ノルウェーの首都)からオレたちの島に家族旅行で来ていたイケてる少年に出会ってさ。そいつはオレにBeastie Boysのアルバムを聞かせたり、ブラックブックを開いてタグを描いて見せたり、スケートを教えてくれたりしたんだ。それに感激しちゃってさ。故郷は本当に小さな島だからストリートカルチャーなんて全く知らなかったし、当時はグラフィティライターだって島には誰一人いなかった。だから、それを見た時にグラフィティのかっこよさに感化されちゃってどんどんハマっていったよ。90年代後半までは、故郷でも俺以外のライターにあったことがなかったから、長いこと兄貴とつるんで落書きしてたんだ。
——その頃からREMIOとして活動しているんですか。
最初は色々なバンド名を描いたり、それをもじって架空のバンド名を描いていたんだ。スケートデッキのグラフィックを真似たり、ニンジャタートルズなんかもよく描いていた。90年代後半にカナダに住み始めた時、初めてオレ以外のグラフティライターにあったんだ。ハリファックスの学校に通っていたんだけど、そこで多くのライターにあってそこから積極的にREMIOとして活動し始めたかな。
——今回のアートショーのコンセプトを教えてください。
オレが開くアートショーにはこれといったコンセプトは無いんだ。常に何か作品を作っていて、集まったアイテムを展示する。それで十分なんだよ。色んな場所へ行ってグラフィティを書いてきたけど、最近はストリートで落書きすることが身体的に厳しくなってあんまりやらなくなったんだ。スケートしている時に腰を骨折しちゃって、3本のボルトが腰骨を支えているから度々痛むし、いざという時に激しい動きができないんだよ。だから家で描くようになってどんどん新しい作品が貯まっていくから、たまにこういう個展を開催しているんだ。
——影響を受けたアーティストや、作品などはありますか。
カートゥーンは昔から好きでよく見ているよ。最近では息子と一緒にカートゥーンを楽しんでいて、そこからいいアイディアをもらってるんだ。白黒だった頃のディズニーとか、アンダーグラウンドコミックスとかね。カートゥーンだったらどれでも好きだけど、タートルズが一番のお気に入りだよ。そして、空いてる時間にリサイクルショップで古いDVDを探すのが好きなんだ。30年代〜40年代ぐらいのやつが見つかったらお宝だね。それがオレのインスピレーションに大きく関わっているのさ。
——どおりで数多くの個性的でユニークな“R”が生まれているんですね。
活動場所がストリートからキャンバスに変わってきたけど、今でも書くものは変わってないんだ。基本的なベースはしっかり守っていて、それに沿ってトップに面白さを加えるようにしている。最初は絶対に同じ書き出し方だけど細かい部分は次第に違う形になっていく。いくつかの理由があるけど、その中でも中心のトライアングルがオレの確固としたスタイルなのさ。息子にも他のを描いてって言われたりするけど、書き出しにまずトライアングルを描いてスタートすることは絶対に揺るがない、これがオレの自然な絵の描き方なんだ。
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——Haroshiさんも2体の作品を展示していらっしゃいますね。
そうなんだよ。彼もHUFのアンバサダーをやっていて、キース・ハフナゲルから紹介されて知り合ったんだ。今ではすごくいい仲になって、日本に来る時は毎回彼のスタジオへ行って壁にグラフティを描いているよ。いろんな作品を交換し合たり、遊びに行ったり最高の友達って感じかな。今回のオレの個展ために忙しい中2体の“GUZO”を作ってくれて一緒に展示しているんだ。
——今回の来日に伴い、MIN-NANOからTシャツをリリースされたようですね。
前回、日本に来た時はHUFからTシャツを出したんだけど、今回はMIN―NANOからオファーを受けてTシャツをデザインしたんだ。このデザインは日本に向かう飛行機の中で書いたんだよ。大好評だったみたいで発売して即完売したらしく、すごく嬉しいよ。
——グラフィティライターは多くのトラブルやアクシデントのストーリーをいくつか持っていますよね。印象的だったアクシデントはありますか。
2012年ぐらいにバンクーバーに住んでいた時、ワイヤーを掴んでビルを登っていたらそのワイヤーが突然切れて落下したんだ。多分7、8メートルぐらい落ちて、ビルの隙間のコンクリート壁に足をぶつけて、骨が見えるぐらいまで肉が削れていたよ。今でもその傷は残ってるんだ。仲間たちがそこにいたからどうにか脱出できたんだけど。
——僕も2018年までバンクーバーに住んでいたことがあります。今だに多くのあなたのタグが残っていました。
バンクーバーでは本当に多くのヒドイ目にあったよ(笑)。警察とカーチェイスをしたり、指名手配されたり。彼らはオレたちのことを最も悪いライター集団として指名手配していて、いつでもオレのことを嗅ぎ回って捕まえようとしていたんだ。一度、ボムっている最中に警官に見つかったことがあって猛ダッシュで路地裏に逃げ込んでその日はどうにか躱したんだ。でも翌日、奴らはオレの家に電話をかけてきて待ちに待ったと言わんばかりにこう言った。「おいREMIO、お前の犯行は昨日見られているんだ。今から捕まえに行くから大人しく勘忍しろ」って。受話器を置いた瞬間、一目散に家を飛び出して車に乗り込み、そのままシアトルに向かったよ(笑)。もちろん服なんて何も持って行かなかったし、オレが書いたグラフィティのバインダーやステッカーもそのまま置いてきたんだ。ルームシェアしていた他の家族の子供が見つけて持っていたらしいんだけど、警察が取り調べに来た時にバインダーを持ってた子供を見て「お前がREMIOか」っていって危うくその子が連行されそうになったらしくてさ(笑)。本当に勘違いして捕まえようとしていたんだけど、散々「REMIOはもう逃げた」って言って誤解が解けたらしい。マジでギリギリ逃げ切って、それからはアメリカに拠点を移して活動しているんだよ(笑)。
——(笑)。だから、仲良しの警察の車両がこんなにいっぱい飾ってあるんですね。
本物のパトカーに落書きしたらトラブルになっちゃうから、このおもちゃに落書きをするんだ。これだったら誰でも簡単にスマッシュできるだろ?まあ、本物のパトカーに落書きするのも大好きなんだけどね。最近は、FTPクルーと一緒にスマッシュしたよ(笑)。インスタグラムに載っているから探してみて。
——あなたが制作しているZINE「Sleepner」についてお聞かせください。
オレが密かにずっとやっているプロジェクトで、20年以上は続けているかな。このZINEでは自分の好きなものや気に入ったライターやアーティストの作品をまとめているんだ。初めてあった人にこれを渡す事で簡単に自分のアイデンティティーがわかってもらえるだろ?今はみんなすぐにデジタルに頼ってばっかだけど、オレは昔大切な写真が入った携帯を壊して全部消えちゃった悲しい思い出があるんだ。だから、このZINEを作ることで少なくともこのジンに入っている写真だけはなくならないことを確信しているよ。そういえば、最近制作した犬を題材にしたZINEに警察犬が乗っているだろ?
——警察官の次は警察犬ですか(笑)。
これだけは絶対に忘れられない(笑)。そのZINEに載っている警察犬に噛まれたんだ。名前はタイタン。オレが壁にペイントしている時、突然こいつはオレの背中に喰らいついてきた。いきなり背中に痛みが走ったもんだから咄嗟に左ひじでそいつをはらってオレは地面に倒れこんだ。そしたら今度はオレの腕に噛み付いて、勢いよく頭を振り続けていた。その時は腕が取れるかと思ったよ。やっとの事で警官が犬を取り押さえて、車に押し込んでどうにか助かった。血だらけだったオレは警官に向かって「救急車を呼べ」って言ったんだけど、その警官は聞く耳を持たずそのまま立ち去っちゃってさ。その後、自分で歩いて病院まで行ったよ。腹が立ったけどオレは奴らの証拠を持っていなかった。でも顔ははっきりと覚えていたから、その警官を探し当てようやくオレを噛んだ警察犬の写真の辿り着くことができたんだ。やっぱり、ストリートを相手に活動しているとリスクも多い。だけど何よりも面白くて楽しいし今これが笑い話になっているから結果的によかったよ(笑)。
——最後にアーティストを目指す若者にメッセージをください。
みんな特別どうしようとかじゃなく、とりあえずグラフィティを続けたり、何かを描き続けたり、好きなことを単純に続けることが本当に大切だと思うんだ。自分がやりたいことを否定する声が聞こえたって、耳を貸すんじゃない。それがクリエイティブなんだ。オレは昔からやっていることは何も変わらないよ。続けていく中で自分のスタイルを見つけたり、自分の見せ方が分かったりどんどん進化していくもんなんだ。もし誰かがそれはやめた方が良いって言っても聞いてちゃダメだ。足踏みしていてはいけないよ。