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NOE246

ストリートでよく見かける謎のステッカー“NOE246”登場。

インターネットの普及とともにアンダーグラウンドカルチャーは瞬く間に日の目を見る事になった。新たな稼ぎ手を見つけようと世界中ファッションブランドやマーケッター達はこぞってスケートボードやグラフィティに目を付け、“ストリートアート”としてマスメディアで消費者に誇大宣伝することでその絶対的な地位を確立し、今や世間からそう呼ばれる作品は何十億もの高値で取引されている物もある程だ。グラフィティカルチャーは、70年代から現在に渡り独創的な進化を遂げ続ける、今では誰しもが知るメジャーなアートの一つといえよう。一方、現代のグラフィティライター達にとってインターネットを使えば世界中のグラフィティを観覧でき、良くも悪くも“オリジナルの進化”というのは珍しく見られなくなっているのかもしれない。あなたは、街中で「NOE246」と書かれたステッカーを見た事があるだろうか。世界各地でそのステッカーを発見することができ、その真相は謎に満ち溢れ、一体何者なのか気になっている方も多いのでは。そんな「NOE246」が、東京の「Jinkinoko Gallary」にて個展を開催するという情報を得たので話をするべく足を運んだ。

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——話せる限り、あなた自身についてお聞かせください。

グラフィティライターとして活動する「NOE」です。世界各国のいくつかのクルーに所属しているんだけど、ステッカーにもある通り東京のクルー“246”にも所属している。アメリカの西海岸で育ち、旅をする様になって世界各地でグラフィティに対する考え方が大きく違った事に衝撃を受けたんだ。アジア人はアメリカのクルーに大きな憧れを持っているイメージがあるんだけど、当のアメリカ人はアジアにグラフィティカルチャーがあることすら知らないぐらい気にしていない。俺はアジアのグラフィティカルチャーが好きで、しばらく東京に滞在していた時に“246”クルーに出会って彼らとよく遊んでいたんだ。一緒にストリートへ出かけたり、どうやったらいいボマーになれるかアイディアを交換しあったりしてね。もちろんアメリカのクルーも大切にしているんだけど、アジア独自のグラフィティカルチャーを特に尊敬し、アジアで一番イケてるボミングクルーを世界に発信するためにこの名前で活動を続けているんだ。現在はアジア圏を拠点に活動しているよ。世界中を旅し、拠点を移しながらいろんな場所で活動しているんだ。

——日本を拠点に活動されていた時期もあったのですね。

初めて日本に来た時は、確か20年前ぐらいかな。しばらくステイして、そこからアメリカに拠点を移したよ。かれこれ10年以上はアメリカと東京を行き来して過ごしていた。東京のクルーと仲良くなって一緒に活動を始めたのは12、3年前ぐらいかな。そこから約3年間、東京で活動していたんだ。その頃は東京の持つ“熱量”に感化されて吸収できる物事が多かったからね。眠らない街、夜でも街には多くの人が行き交いその不思議なエネルギーに惹かれていたんだと思う。夜中でも朝方でもずっと街には人がいて何かしらのアクションを起こしている。ハロウィンのカオスとか時にはクレイジーな出来事もあったり渋谷は若者の街っていうこともあって、ある程度アンダーグラウンドカルチャーに寛容な気がするんだ。自転車が好きでよく街中をサイクリングしていたけど、東京のシーンを生で体験できていい経験になったよ。たまにライターとバッタリ出会って仲良くなったり、美味しいラーメンを食べたりね。

——どおりで渋谷界隈で数多くのステッカーを見つける訳だ。

ステッカーはただの一つのツールでしかない。特に忙しい街中に特化したボムのスタイルなんだ。グラフィティの活動目的の一つに、いかに多く自分の名前を拡散させることができるかっていう考えがあるんだ。マーカー、ステッカー、スプレーなんかを駆使してね。どんな手法でも上手かったり、よく目につくとみんなの目にとまる。数とクオリティーでね。その上でステッカーは最適な手段なんだ。もし人に見られていたって誰も気にしないからね。だから、トラブルになる確率が少なく、ハイクオリティで安全に数多くの自分の名前を拡散する手段だと思う。

——確かに、スプレーだと時に危険を伴いますよね。アメリカで始めた活動当初も基本はステッカーを制作していたんでしょうか。

もし正義感溢れる人に見つかってしまえば拘束されて、そのまま警察の御用になってしまう。だから、その街に合わせて1番見合った媒体を使うことが大切だと思うんだ。長く続けるためにもね。でも、活動当初のアメリカではむしろ違うことにフォーカスしていたよ。いつだって外に出る時はスプレー缶とマーカー、そしてステッカーを携帯していた。俺が育った街はグラフィティに寛容だったから、どこにでも楽しみながらグラフィティを描けたんだ。一方東京は、マーカーでタギングすることですら多くの危険を伴う。だからもっとも安全で素早くボムする方法はステッカーだと気が付いた。だから、尊敬するクルーの名前246をステッカーに入れて何万枚も制作して貼る事にしたんだ。

——おっしゃる通り、世界各地でアンダーグラウンドシーンに対する考え方は大きく異なっていると思います。旅を続ける中で各国のシーンの違いを目の当たりにし、どんな印象を受けましたか。

世界各地のストリートシーンの中でも、特にアジアはそれぞれ全く違う雰囲気だと感じるんだ。香港には香港の独特なエネルギーがあるし、東京には東京の独特なエネルギーがあって、それぞれの街にいるプレイヤーやアンダーグラウンドカルチャーを支持するサポーター達が異なるユニークな考え方を持っていてその街の色を作っている。スケートやグラフィティのスタイルなど各地でその場のオリジナルなスタイルや流行りが生まれているんだ。最も、アメリカの西海岸でグラフィティを始めた時に影響を受けていた先人達は、もちろんインターネットなんて無い時代から活動していて、数少ない情報の中でクルーのスタイル、オリジナルなレターをチームメイトと日々模索し合って進化させてきた文化なんだ。そんな文化が生まれたアメリカは国境をまたいで影響し合うって考えが当時は無くて、アメリカ人が他の国のグラフィティシーンを理解するのが難しかった。でも、俺は“その器を知り、中身を独自に進化”させてきたアジアのグラフィティカルチャーに興味が湧いて東京行きを決意した。大都市東京で見たグラフィティはアメリカでのびのびと描いたピースなんてなく、街に特化したスタイルでまさにゲトーだって感じた。しばらくして“246”に出会い、彼らの持つエネルギーに魅了され、アジア最大のイケてるボミングクルーに加入したんだ。それぞれの国が持つスタイルやコンセプトを受け入れ、容易に理解できる柔軟性がライターにとって意味のあることだって思うよ。

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——今回のアートショーのコンセプトについてお聞かせください。

FXXK THE POLICE AND STEAL EVERYTHING。ストリートでしか活動していなかった頃は常にハングリーで貰えるものはガツガツ貰っていたし。でも、だんだん活動を続ける中で、驚くことに俺のステッカーを欲しがる人が出てきたり、ギャラリーやショップなどから「個展をしないか」って声をかけられるようになってきたんだ。声をかけてもらえる以上は積極的にその方面で活動したいと思っているんだ。今でも根本的に考え方は昔から変わってないんだけど、今はラッキーな事に活動するフィールドが広がってきたから多方面で活動を続けられる様になってきた。何と言っても、結果的に俺の作品でみんなを幸せに出来たら良いなって思っているんだ。

——あなたのアイコンは、台北や香港のファッショニスタに徐々に話題となっている様ですね。

それに関しては別に喜ばしいことでも無いし、このアイコンを流行りに流される消費者の為にばら撒いている訳では無い。ストリートでずっと戦ってきて、ストリート上がりのアーティストが個展をやったり、次第に有名になっているのを間近で見ていて、俺も出来るって常に思っている。それがどんなに過酷で難しくても、俺はそれが障害だって特に気にしていないし、自由気ままにやっていきたい。まだグラフィティも楽しんでいるしね。ビジネスも時には重要だけど、とにかく自分にとって楽しいと思えることを常に最優先に考えているんだ。共に活動している同士達をがっかりさせたくはないし、これからも互いに影響し合い大きくならなけばならない。だからできる事を最大限にやりとげ、今でもスポンジみたいに自分にとっていい事をたくさん吸収して、オリジナルを目指して自分の理想に到達するまでやり続けるよ。

——どういったところから影響を受け、活動のモチベーションに繋げているんですか。

それぞれのグラフィティライターにはその人の個性を持っていて、俺はそれを尊敬している。特に90年代後半、グラフィティ黄金期に活躍したライターの中には早くして死んでしまった者もたくさんいて、そんな人達にリスペクトするという思いも込めて名前には“NOT ON EARTH”って意味があるんだ。グラフィティを愛していて続けたかっただろうに、不運にも命を落としてしまった彼らの思いを胸に抱き、自身の活動のモチベーションに繋げているよ。亡くなってしまった「DREAM TDK」やベイエリアのグラフィティはリアルタイムで見ていたから好みなんだ。俺の基本的なレターはそれをルーツに確立されたと思う。もちろん、246や他のアジアのグラフィティクルーともコミュニケーションを取り合い、互いに磨き合っているよ。中途半端に何かをやるのは嫌いだから、やるならとことんやるし、やらなくなったら環境を変えて新たなモチベーションに繋げる。“NOTHING OR EVERYTHING”って具合にね。

——影響を受けたアーティストや好きなアーティストはいますか?

俺には好きなアーティストはいないんだ。それぞれのアーティストにはその人の個性を持っていて、俺は尊敬している。インスピレーションは、死から受けているんだ。人は誰だっていつかは死ぬ。早くして死んでしまったアーティストもたくさんいて、俺はそう行ったところからインスピレーションを受けているんだ。グラフィティを愛していて続けたかっただろうに命を落としてしまった。そんな人達に影響を受けているんだ。NOEの意味、感情が大切なんだ。
サンフランシスコで生まれ育ったから、バリーマッギーはもちろん好きだよ。TIE、MQ、90年代後半、グラフィティの黄金期に活躍したアーティストは大抵好きだよ。サンフランシスコはグラフィティに寛大だからね。死んでしまったDREAM TDKなんかもね。ベイエリアのグラフィティは子供の頃から見ていたからね。最高だよ。グラフィティの基本的なレターが確立されたんだ。

——アンダーグラウンドカルチャーは一般的な人々にどう影響すると思いますか。

ストリートのアーティストは普通の人がやらない事をやっているだけだと思う。普通の人っていうのは消費者って意味で、彼らはギャラリーなんかお気に入りのアーティストの作品に対してはお金を出して買うけど果たして、街中のグラフィティにまで気にしているとは思えないな。ごく一部のマニアか、プレイヤーだけが影響されていると思う。特に日本は。それぞれ趣味思考が違うからね。バリー・マッギーみたいな有名人が好きな人もいればアングラで活動しているライターが好きな人もいるから。マスメディアが大きく特集してるアーティストが本当にかっこいいとは限らない。本当にアングラで活動している奴っていうのは表には出ないけど冴えている奴だって数多くいるし、それを見た者たちに与える影響力、熱量は凄まじく大きい。だから、今までの見方を変えてそんなグラフィティを街中で探して見るのも面白いかもね。

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——次の個展の予定やフォーカスしているプロジェクトなどはありますか。

次の個展に関しては、何かしら面白い理由があればどこかでやりたいね。今の所、しばらく空いているよ(笑)。今回の個展にも出したんだけど、最近ではスクリーンプリントに時間を費やしているんだ。今回のはイギリスの友達とコラボして制作したんだ。

———最後にアーティストを目指す若いライター達にメッセージをください。

今すぐ携帯電話を置いて、インターネットを止める事が大切だ。現在、本当にオリジナルなタッチやレターはどんどん生まれなくなってきているような気がする。インターネットを使えば世界中のグラフティを見ることができるし、一度見てかっこいいと思ったライターは脳裏に焼きつき、自然とそこに引っ張られ、同じ様なスタイルが街に溢れかえっているように感じる。アーティストにとってそれは致命傷だし、コピーキッズは有名にはなれない。だから俺はあんまりインターネットってものを良いものだって思ってはいないんだ。突然上手くなるなんてことはないし、進化には数多くの練習が必要なんだ。そう言った意味では俺は常にピュア。社会的な疫病みたいになっているインターネットを過信しすぎて使い続けても良いことなんてないよ。90年代のライター達はインターネットがなく数少ない情報の中で、独自の進化を遂げてきたからこそ今でも評価されている。New Schoolって呼ばれるインターネット情報頼りのライター達はOld Schoolのスタイルなんて誰でも書けるって思ってる者も多いだろう。でも勘違いしてはいけない。少ない情報の中で生まれた90年代のアンダーグラウンドシーンはもっと評価しなければいけないよ。もう1つアドバイスするなら、自分自身で世界を旅をし、多くのライター達に会って話を聞くんだ。そうすれば、もっとオリジナルな自分に気づくことができ、独自のスタイルを磨くきっかけが作れるはずさ。

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